タムラクリニック

アクセス

休診日月曜・日曜・祝祭日

042-451-5533

ご予約はお電話にて承っております。

MENU

ハナコ短信

2024年5月13日

自然感情

木々のなめらかな緑が美しい季節になりました。半透明のグラデーションの若葉を見上げると、心地好い、幸福な気持ちが湧いてきます。
近代言語学の父、ソシュールによれば、森羅万象は言語の網を通して見る前は連続体であると言われています。すなわち、ある語はその対象を指し示すのではなく、例えば里山に分け入った時、「木」と「草」の語を持つことによってはじめて、目に映る場景の中に木の世界と草の世界が立ち上がるのです。言葉の網を通さない世界では山川草木と自己とが渾然一体に感じられるのでしょうか。色名で分割されない若葉の場景は、言語を獲得する以前の私たちの遠い祖先の感覚を呼び覚ましているのかも知れません。

自然感情(Naturgefühl)とはドイツ語の訳語で、自然現象に対して反応する私たちの感情のことです。西洋的な自然と人間とは対立概念の関係にあり、自然は物であり対象とみなされます。一方、古来日本人には自然と人間との明確な線引きはありませんでした。それでも自然に感応する情緒には本質的な違いはないと思います。
精神衛生にとって、適切な栄養、休息、睡眠と同様に健全な自然環境は大切な要素ですが、利便性を第一とする文明生活の中ではそれに気づかないことも少なくありません。

ゲーテは生涯に何度かのうつ病を経験したと言われていますが、その自叙伝『詩と真実』の中にこのような記述があります。
「人生の一切の快適は外的事象の規則正しい回帰に基づいている。昼夜、四季、結実開花の交代、そのほか時折毎に日頃吾々を迎えてそれを吾々が楽しむことが出来る如く定めているものこそ、この地上生活の本来の推進力である。吾々がこの享受に開放的であればある程、それだけ吾々は仕合せに感じるのである。併し一旦この現象の推移変遷の動揺を感じて、それに関与することがなくなって、かかる優雅な提供を感受しなくなると、此処に最大の禍、最も重篤な病気が始まるのである。即ち、人生を厭わしい重荷と見なすことである。……」(千谷七郎『漱石の病跡』)

うつ病の最中にあって、希薄になった自然感情は適切な休養と治療によって一進一退を繰り返しながら回復して行きます。そしてある日、日頃見過ごしていた小さな自然が美しく感じられ、世界が光彩を帯びて見える日が必ずやって来ます。逆に、人間の生活の本来の推進力である自然を不可逆になるまで損なった先に、私たちの普通に幸福な生活の維持が困難になることは火を見るよりも明らかでしょう。

やがて、若葉の輪郭が整い、緑が深くなって青葉に収束して行きます。来年も再来年も、子供たちが大人になった時も、季節があるべくように循環し、回帰して、今ここにある自然を享受できることを願いつつ、地球環境の保全のために自らができることを考え続けたいと思います。

ご予約・ご相談はこちら