2025年1月6日
スマホ神経衰弱
神経衰弱(neurasthenia)とはアメリカの神経学者ビアードが1869年に提唱した疾病概念で、物質文明の進展に伴う心理社会的ストレスがもたらした中枢神経系の疲弊による症候群のことです。文明病とも称されました。当時のアメリカでは第二次産業革命が立ち上がり重化学工業の革新、鉄道・通信網の整備が急速に進んでいました。社会インフラの電化はまだ先の話で、先頭を走るイギリスでは驚くべきことに蒸気機関車がロンドンの地下を走っていました。
近代化が急務であった日本においても明治後期から大正時代にかけて、表題に神経衰弱を掲げる本が多数出版されました。神経衰弱の蔓延を放置すれば、ひいては国力の衰退を招くという亡国論を唱えるものもありました。
近年、神経衰弱が診断名として用いられる機会は少なくなりましたが、WHOの「精神および行動の障害 (ICD-10)」には神経症圏の障害の類型として記載されています。神経衰弱では神経系は容易に興奮し、同時に疲労しやすい過敏衰弱状態に陥り、何事にも楽しみを見出せず、抑うつと不安が混在した状態が続きます。睡眠障害(あるいは過剰睡眠)、いらいら、筋緊張性頭痛、めまい、消化不良などの症状が現れることもあります。
初期の携帯電話(ケイタイ、モバイルフォン)は本来、人々の移動性(モビリティ)を高める道具でした。電話連絡を受けるために家や職場に居る必要がなくなり、移動中や休憩中の隙間時間を無駄にせず、仕事やプライベートの通信に使えるようになりました。
2010年頃以降、インターネットと高機能携帯電話(スマートフォン)の爆発的な普及によって世界は大きな変革期に入っています。スマホの用途は多彩ですが、主なものでは、個人的な通信、SNSの利用、Webサイトの閲覧、動画等の視聴、ゲームなどが挙げられます。これらに費やす時間は平均で1日4時間とも言われ、スマホはリアルな生活時間を侵食しようとしています。一方、スマホは社会インフラも担うようになり、スマホを持たない生活は困難になりつつあります。自由に使える時間の多くを、脳はスマホから与えられる情報の処理に追われ、その情報量は第二次産業革命の時代とは桁違いに増加しています。
スマホ神経衰弱では、疲弊して仕事に支障を来し、生活を重荷に感じ始めても、疲労の原因であるスマホを使い続け、逆にスマホに費やす時間が増えることさえあります。人間の脳がどれだけの情報量に耐えることができるのか、スマホを通して私たちは壮大な社会実験に参加しているのです。もし、スマホを見ながら寝落ちしたことがあるなら、あなたはスマホ神経衰弱の予備軍かも知れません。
オックスフォード大学出版局は2024年を象徴する言葉として “brain rot (脳の劣化)”を選出しました。この言葉は「取るに足らないオンラインコンテンツの過剰消費による精神および知的状態の低下」と定義されています。現代版の神経衰弱とも言える “ブレインロット” はソーシャルメディア時代の負の側面を意識化するキーワードになるかも知れません。
私たちは精神衛生のためにワーク・ライフ・スマホバランスを考える必要がありそうです。