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2023年9月4日

幸福論(前編)

ギリシア、ローマの昔から古今東西、人々は幸福を求め、時代の識者によって幸福論が語られてきました。今日、三大幸福論といえばヒルティ(1891)、アラン(1925)、ラッセル(1930)の『幸福論』を指すようです。幸福論とは幸福を通して考察された人生の指針と言うこともできます。研究分野では幸福は「人生の方向性に対する満足度」と定義されます。何かピンと来ない感じですが、これに心理学者アドラーの唱える幸福の3条件「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」を加えると幸福の輪郭が浮かんできます。
国連の世界幸福度報告は、1)1人あたりGDP、2)社会保障などの社会的支援、3)健康寿命、4)人生の自由度、5)他者への寛容度、6)国への信頼度の6項目について、いわば私たちの幸福の社会インフラが評価されるものです。2023年に発表された世界ランキングでは137カ国中、日本は47位でした。

ここではアランの『幸福論』をご紹介したいと思います。
「世の中に、あなたの外部にそれを求めるなら、幸福は決してどこにも姿をあらわさないだろう」
アランのいう幸福は、喜び、楽しみとは区別されます。
喜びとは、幸運や偶然によって外からもたらされるもので、もしそれが得られれば一時の幸福感を味わうかも知れませんが、そうした気分は決して長くは続きません。喜びのない幸福は現実的には考えにくいと思いますが、誰かが喜ばせてくれるサプライズや滅多に訪れない幸運を待ち続けるのは決して幸福とは言えないでしょう。
一方、楽しみとは、ある方法や状況によって確実に与えられるもので、アランはたとえば、夏にアイスクリームを食べること、冬に暖を取ること、海岸に行くことなどを挙げています(アラン『定義集』)。ただ、些細なことに楽しみを見出せるのは幸福の第一歩のような気がします。

「本物の不幸もかなりあるにはある。そうだとしても、人々が一種の想像力の誘惑によって不幸をいっそう大きくしている…」
きっかけは何であれ、不機嫌な顔や態度で周囲の人々を不愉快にしておきながら、その周囲の反応を見てますます不機嫌になる人がいます。大変な困難に直面すると、過去の選択を後悔し、未来を悲観し、果ては絶望に陥る人がいます。不機嫌は不機嫌を作り出し、絶望は絶望の原因を悪化させます。アランは多くの紙面を費やして、さまざまな不幸の罠にかからないよう読者に注意を呼びかけます。

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